日本での大会に参加したブータンの
アーチェリー代表チーム
アーチェリーのトレーニングに励む
ブータンからの留学生
ブータンのパラアスリートの皆さんと
ジゲル・ウゲン・ワンチュク王弟殿下/ブータンオリンピック委員会会長と宮澤保夫会長
2017年4月13日ブータンと事前キャンプ招致協定を締結
アスリートとこどもたちの交流
星槎国際高校への留学生と
チームメイト
地域のみなさんとエリトリア料理で交流
大統領の個人執務室を訪問。 イサイアス・アフォルキ大統領と宮澤保夫会長
2015年9月2日エリトリアと事前キャンプ招致協定を締結
星槎道都大学で合宿をした 柔道代表チーム
SEA GAMES(東南アジア競技大会)で銀メダルを獲得
ミャンマーからの空手の留学生たち
星槎湘南大磯キャンパスを訪れた ミョー・ライン事務局長と宮澤保夫会長
2018年4月24日ミャンマーと事前キャンプ招致協定を締結
宮澤保夫会長にはじめてお会いしたのは、2016年5月の日本訪問のときでした。
東京2020オリンピック・パラリンピック、そしてその先にあるスポーツの振興について話し合いましょうと、ブータンオリンピック委員会代表団が星槎から日本にご招待いただいたのです。
私が思い描いていたのはスーツに身を包んだ、厳粛で真面目な日本人でしたが、実際に目の前に現れたのは、私の想像とは正反対の男性でした。リラックスし、くつろいだ雰囲気をまといながらも情熱にあふれた宮澤保夫会長は、けっして偉ぶらず、お気に入りのジーンズをはいて、あるがままの自分でいることを楽しんでいるといった様子でした。しかしながら、彼の穏やかさと辛抱強さの後ろには、強い決断力と圧倒的に幅広い経験が見てとれました。私は出会った瞬間に、何かに導かれるように宮澤会長とこころを通じ合わせることができました。彼の夢や必要とする人のために尽くしたい、彼なりの方法で社会を変えていきたいという思いを伺い、そして学びました。彼の発想は伝統にとらわれず、多くの場合、革新的と位置付けていいものでした。
まさにこの出会いの瞬間、宮澤会長と私には未来に向けた類いまれな種が植えられました。そして私たちは親密な友情と共感的協働に向けて歩みはじめました。今ふり返ってみれば、それはブータン王国のスポーツ振興にとってたいへん重要な、決定的な瞬間でもありました。私たちはブータンオリンピック委員会と星槎が目指すものは一緒であることを確認し、教育システムにおけるスポーツの重要性、および個人、社会、国家の進歩に対するスポーツの社会貢献的役割について協定書を締結したのです。私たちの友情と協働はこのように着実に実を結んできました。
宮澤会長と星槎は、ブータンオリンピック委員会のなくてはならないパートナーとなりました。宮澤会長のご尽力で日本の多くの関連組織、機関、公的要人も、ブータン王国のスポーツ推進のために力を合わせていただけるようになりました。特に、間近に迫った東京2020オリンピック・パラリンピックに向けての重要なサポートをブータン王国選手に対して迅速に進めていただいております。
初めてお会いして以来、宮澤会長はブータン王国へ何度かお越しいただき、その度に私たちは共通の関心事についてさまざまな意見を交換し、個人的な友情も深く育んできました。
2017年4月に私は日本を再度訪れ、品川を拠点に滞在しましたが、そのときも宮澤会長と星槎が、日本でのSEISA-Bhutan Olympic Committeeプロジェクトを主導してくださいました。今回のプロジェクトは、神奈川県民の皆様にも歓迎していただき、星槎パートナーシップに加え、神奈川県内の市や町とも協定を締結する運びとなりました。また、宮澤会長は、ブータンオリンピック委員会、および競技連盟、そして日本の関連機関と深く協議し、若手アスリートの育成やブータンパラリンピック委員会の創設を含めたスポーツ振興のためのアクションプランの草案を作成してくださいました。宮澤会長と星槎は、ブータン王国のスポーツ教育とスポーツ振興の未来をより発展させる上で大きな影響力を持つ存在です。しかしながらそれ以上に、宮澤会長は私個人とブータン王国にとっての親愛なる友人として、この上なく大切な存在です。
HRHジゲル王弟殿下は、2018年国際オリンピック委員会委員に御就任されました。アジア・オリンピック委員会での国際関係委員会委員長としてアジアにおけるスポーツの興隆に加えて、世界におけるオリンピックムーブメントの興隆にともなうオリンピズムの普及にも尽力をされています。また、2018年の北海道胆振東部地震においてもいち早くお見舞いの言葉を星槎にお送りいただきました。